5月11日(木)
今思う意志を書きとめようと決意し、この私覇王伝を記すものなり。
今日と云う日は、用意されていた様に感じるのである。会社を病気の検診と称し休み、某保険会社幹部候補生の採用最終試験を受けにいった。その結果は既に明らかである。失敗だが、これで終わる私ではない。何故か幼少の頃、憧れていた信長・秀吉・家康など偉人の話を想いだした。そして明日12日は信長公の誕生日であり、亡き曾祖母の誕生日でもある。私自身、現職の社内での扱いは、我慢の限度を超えるものを感じている。それは給与面であり、同部署の人間関係、強いて言えばベンチャー企業である社の軽すぎる体質である。
ここまでの恥辱を甘んじて受け入れられているのは、イエス・キリストへの信仰の賜物と言ってよい。力の源は、主が地上生涯を歩まれた従順に他ならない。本当に私の信じる神様は、私たちの弱さに無関心な方ではなく、むしろ理解し支えてくださる愛の方なのである。だから、私は生きる事ができる。主が道を備えてくださると信じ、耐えられない程のものはお与えにはならないと知っているので。私が弱い時に、主の力が示される、との聖書の御言葉は真実である。
主が与えてくださった、命を無駄に使いたくはない。人の一生は短い、そして成すべき事は多くある。だから前へ、前へ、進まねばならない。例え、それが惨な結果に終わろうとも、無駄に生きていたくはない。何もしないで諦めたくはない。命ある限り、チャレンジしたい。本当は主のために働きたいのだが、今の私にはお召しの御声が聞こえない。しかし、行動が興せないわけではない。
起つ時が非常に近づいて来ていると感じる。三つ子の魂百まで、ではないが、本当に大気・勇気・知恵を尽くして、立ち上がりたいのである。私一人では出来ないが、神様が付いて、もし御心ならば成功することだろう。クリスチャンが安心して生きていける時代の先駆けたらんとの起業精神である。何も出来ない、何もしないで、燻ぶってはいられません。偉い人は、自分の信じる道を突き進む、の精神が必要なのです。やるなら今しかない。だが何を具体的に行えばよいのか。それが問題である。
時の流れは速い。1年前にも行動を起こそうとしたが、その時は果たせなかった。しかし、半年前には目に見える形として、我社が完成し現在に至っている。もし、あの時決断しなかったなら、今もゼロのままである。5月から有限会社は作れなくなったので、〇歳の決断は間違ってはいなかった。今度の第2弾は、他の出資者も募る予定であるし、新会社法の下、株式会社での創設になるので、目的に向かって発動する力が前回以上に必要である。
他人の会社で働くという事は、言葉が悪いが昔の小作人であると思う。これがGWに旅した新潟で訪れた、豪農の伊藤文吉邸で悟らしめてくれた真実である。他人の畑や田んぼを耕したところで、私の様な人間には、真の喜びを享受することは、絶対に無理なのだと。
テーマ:自己啓発 - ジャンル:心と身体
- 2006/05/11(木) 23:07:13|
- faith
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